昨日お呼ばれして久しぶりに飯田橋西口に降り立った。知らない間にでかいビルができてた。この辺りは法政大学に通っていたのでなつかしい(厳密にいえば自分は多摩キャンパス生だったのだが)。
神楽坂で牡蠣食べた。

神楽坂の天一、よく行ってたなぁ。ここの天一は都内では少ない直営店で、昔は「学Aセット」ていうのがあって、ラーメンに+10円でライスが付くという。注文する時はこの学Aを「こってり」一択で、麺を食べ終わるまでスープにいっさい手をつけてはならん。麺がなくなったら、スープの中にライスを全部投入し、たいらげろ。こんなルールが先輩から代々受け継がれていた。
あとこの辺りでよく行ってたのは神楽坂飯店(通称「かぐはん」)、その隣にある回鍋肉をカウンターで食べる店、洋食屋キッチンワタル(閉店してしまった)、飲むときはいつも和民だったな。

法政の多摩の方は広大・緑豊かなキャンパスで、ドラマ「オレンジデイズ」を体現できそうな雰囲気があったが、自分にキラキラした学生ライフは無理だった。学部内やゼミでも友達できなかった(ゼミにいたっては卒論提出前にフェードアウトしました…申し訳ありませんでした)。
音楽好きだったけどサークルでバンド組もうぜみたいなノリも合わなかった。いくつか見学しに行って飲み会に参加してみたけど、くるり好きですって言ったらバカにされたので帰って泣いた夜もあった。当然みんなくるり好きなんだけど、コアでマニアックなもの程かっこいいみたいな空気が充満してたのだ。
リア充層とマニアック層の二大勢力が多摩を支配してた。そのどっちにもなれない「やや暗い普通の人たち」。そこにいたおれ。
でも似たような境遇の者が集まる某サークルに運よく入れて、そこは居心地がよかった。定期的に市ヶ谷キャンパスに行けるし、そっちに友達できた。
大学4年間のうち、最初の1年は自宅から片道2時間半かけて通い、2年目は多摩の方で一人暮らしをし、3・4年目は市ヶ谷を中心に授業を取った。

また機会があったら大学時代のシャムキャッツの活動とか振り返って書いてみよ。